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202路(大連市電202系統)

202路(大連市電202系統)

戦前からの市民の足。星海広場、ハイテクパークへの路面電車。旅順へも延長予定

 1911(明治44)年開業の星ヶ浦線(沙河口神社前~星ヶ浦)から続く大連の西南部を走る路面電車です。2002年12月1日には黒石礁~小平島まで延長されています。小平島から旅順まで延長される予定です。運賃1元。終電は、興工街→黒石礁間 23:50。黒石礁→興工街間 23:30。黒石礁以降は上下ともに終電は21:30。

 興工街~解放広場間が一般道と併用しています。そのため、この区間は特に朝晩は非常に渋滞して時間が読めなくなります。興工街~解放広場以外は専用線のため、比較的にスムーズです。最高時速は60キロ。2両編成の主流車両は2001年に登場した中国初の70%低床式電車です。現在、車体の種類は3、4種類あると思われます。

 IC交通カード(明珠カード)を使えば、0.95元となります。運転手、乗務員さんが全員女性であることも大連の201、202路などの公共交通機関の特徴といえます。

駅一覧

興工街-錦煇商城-解放広場-功成街-和平広場-会展中心-星海広場-化物所-医大二院-星海公園-黒石礁-弘基書香園-海事大学-七賢路-高新園区-中国華録-七賢嶺-河口-小平島前

100年の202路の歴史

 戦前の南満州鉄道株式会社(満鉄)運営の星ヶ浦線から100年続く路線です。当時は、沙河口神社前(現在の興工街少し手前)から大連最大のリゾート地である星ヶ浦(星海公園)までを結んでいました。1920(大正10)年には複線化、1924(大正14)年には黒石礁まで延長され2002年まで改修工事を経ながらも、路線の場所はほぼ変更せずに市民の足として利用されてきました。

 レールの幅は1,435mm(標準軌)です。標準軌は日本だと新幹線や一部私鉄と同じ幅です。満鉄は、大連に電車を敷設したときに日本とは異なる標準軌を採用したことが興味深いところです。日本の主流鉄道は、1,067mmの狭軌と呼ばれる規格を現在でも使っています。日本の鉄道導入期である明治初期には、当時の財力や日本の地形を考慮して狭軌(1,067mm)を採用したといわれています。しかし、約50年後の大連では、その当時世界の主流となっていた標準軌を採用しています。ちなみに満鉄は、満州国、朝鮮半島にも同じ標準軌の線路を敷設しています。

 戦前の古写真や、地図を見ると202路は現在とほぼ同じ場所を走っていたことが分かります。ただし、当時は全面路面電車だったと地図上からは推測されます。

 2004年7月1日に料金が改定されています。それまでは、興工街~黒石礁のみ走る1元の1車両電車と興工街~小平島を走る2元の2両車両が運行していました。2004年7月1日に1両車両が廃止されて、全線2両車両に統一され運賃も1元へ値下げされています。旧1両車両はイベントなど不定期に走ることがあります。

一言コメント

参考サイト
大連都市交通(Wikipedia)
南満州鉄道(Wikipedia)
西船junctionどっと混む
大连202电车自燃视频 – 大连公交版 – 公交迷网

この投稿は 2011年10月2日 日曜日 1:37 AM に ホテル・不動産・病院, 乗り物 カテゴリーに公開されました。

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掲載日: 2011-10-02
更新日: 2011-10-10
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