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遼寧師範大学外国語学院副院長 経済学博士、中華日本学会常務理事、全国日本経済学会理事 崔 萬有さん cui wanyou

「中日両国は引っ越しできない隣国。友好的に話し合って、良い関係を築いて欲しい」

    遼寧師範大学外国学院は来年、設立50周年を迎える。英語をはじめロシア語やドイツ語などの各国語とともに、優秀な日本語人材も送り出し、中日両国の友好関係を人的面から築いてきた功績は大きい。同学院日本語教育のトップである崔萬有副院長に、語学を通した日本との交流などについてインタビューした。

 遼寧師範大学(遼師大)外国語学院の日本語教育はレベルの高さで定評があります 。その外国語学院は来年で開設50周年を迎えるそうですね。

 日本語教育では政府がバックアップしている大連外国語学院(大外)が知られていますが、遼師大も半世紀にわたって優秀な日本語人材を輩出してきました。大外に比べて規模は小さいのですが、教育面での実力は劣ることがないと自負しています。

 これまでどれくらいの卒業生を送り出してきたのでしょうか。

 開設当初から30年間は教育者の育成が目的で、1学年1クラスの25人でした。その後は中日間の経済関係が深まるとともに日本語人材の需要が高まり、1学年4クラス、学生数も1クラス30人に増えました。ですから単純計算でも卒業生、在校生は3000人以上になります。

 卒業生たちはどのようなところで活躍されているのでしょうか。

 日本へ渡って仕事をしている人もいれば、中国国内で日本関連の貿易などの業務や通訳、さらには日系企業で働いている人もいます。教育分野でも日本語学科の先輩たちは活躍されています。私たち遼師大の曲維副学長や天津外国語学院の修剛学長、広東外国語外貿大学の顧也力副学長たちは卒業生です。

 来年の外国語学院50周年に向けて記念行事などは計画されているのでしょうか。

 まだ具体的には何も決まっていません。しかし、記念のシンポジウムや学術会議、同窓会などが開催できればと思っています。また、遼師大は日本の十数もの大学と教育交流協定を結び、留学生の交換や教官の交流、学術面での相互研究などを行っていますので、状況によっては各大学の関係者のみなさんもお招きすることになるかも知れません。

 ところで崔副院長は外国語学院で日本語学科の総責任者でもあります。物理学部卒業の崔副院長がどうして日本語の専門になられたのでしょうか。

 大学を卒業して外国語学院職員になったのですが、日本語を勉強している学生たちと接しているうち、私も日本文化に興味を持つようになったのです。当時は山口百恵さん主演のドラマ「赤い絆」が流行っていたときでした。私も言葉を勉強したくて学生と一緒に日本語の授業を受けるようになったのです。

 日本にも留学されていましたね。

 そうです。北陸大学に私費留学して1年間にわたって日本語を勉強し、京都大学と京都産業大学の大学院では経済学を学びました。とくに京都には4年間住んでいましたので、伝統的な日本文化が好きになりました。京都産業大学時代の半年間は、妻と3歳だった娘も一緒でしたが、とても楽しい時間でした。娘は8歳になりましたが、いまも片言の日本語を話すことができます。

 今後の中日関係のあり方についてお聞かせください。

 中日両国は引っ越しできない隣国です。いろいろな問題について友好的に話し合って、良い関係を築いて欲しいと願っています。

 最後に日本語を勉強する中国の学生たちへのアドバイスをお願い致します。

 中国に「他山之石可以攻玉」という言葉があります。他山の石は優れた教えにもなる、という意味です。自分の目で見て考え、判断すると言うことが必要です。これは両国のどちら側からも言えることです。そして、中国の学生たちには勤勉さや〝以心伝心〟といった、相手の心を読むコミュニケーションなど、奥深さを学んで欲しいと思います。

  辽宁师范大学外国语学院将在来年迎来50周年。在开展以英语、俄语、德语等各国语言的同时也培养了很多优秀的日语人才,在人才方面为中日两国友好关系做出了很大贡献。在这里我们采访了日本语教育的领军者该学院的副院长崔万有先生。
  「辽宁师范大学半个世纪以来优秀的日语人才辈出,日语专业的毕业生、在校生达3000人以上。辽师大的曲维副校长、天津外国语学院的修刚校长、广东外国语外贸大学的顾也力副校长等都是这里的日语专业毕业生。来年将迎来学校成立50周年,准备举办一些有纪念意义的学术会议和同窗会等活动。关于各种问题我希望能以友好的方式解决,祝愿两国关系能够良好发展」

【経歴】

 1969年8月、丹東市生まれ。遼寧師範大学物理学部卒業後の1991年、同大外国語学院職員となり、1997年に退職して金沢市の北陸大学に語学留学。1998年に京都大学大学院経済学の研究生、2000年から2年間は京都産業大学大学院経済学研究科で学んで修士学位を取得した。2002年に帰国して母校の日本語学部専任教員、2007年に経済学の博士号を取得した。今年6月に就任した現職とともに、中華日本学会常務理事、全国日本経済学会理事も務める。

【取材を終えて】
 学究肌の優しいお父さん

    根っからの勉強好きなのだろう。大学職員になって初めて日本語を勉強し、ついには日本へ語学留学。さらには日本語で経済学を学び、帰国してからは教員でありながら、東北財経大学で経済学を勉強して、経済学の博士号を取得した努力家でもある。

    「趣味は何ですか」との問いには、しばらく考えて「……本を読むぐらいでしょうか」との返事が返ってきた。〝堅物〟なか、と思いきや違っていた。「休日は?」の質問で表情が一気に崩れた。「娘と過ごすこと」。優しい父親の顔が浮かび上がっていた。
猪瀬 和道

この投稿は 2012年11月15日 木曜日 6:57 PM に Whenever誌面コンテンツ, 巻頭インタビュー カテゴリーに公開されました。

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掲載日: 2012-11-15
更新日: 2012-12-19
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