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大連賓館(旧ヤマトホテル)

シャンデリアが美しい旧大連ヤマトホテルのロビー。

100年の歴史を見つめてきた近代大連を象徴する旧ヤマトホテル(大連賓館)

大連市中山区中山広場4号
0411-8170-7155(日本語可能)
日本語公式サイト(オンライン予約可能)

大連賓館ご提供の紹介文

 大連賓館(原名:大和ホテル)は、建築家妻木頼黄(つまきよりなか)の弟子太田毅によって設計され、1909年の施行から5年の歳月をかけ1914年3月に竣工、同年8月1日に大和ホテルとして営業を開始しました。

 当時大和ホテルは、中国東北地域の各地に多数ありましたが(大連・星海公園旅順・瀋陽・撫順・長春・ハルビン:全て現在読み地名)、中でも大連にあった大和ホテルは、大連一の格式を誇るだけではなく、ヤマトホテルの旗艦店としての役割を担っていました。それは、大連の地が、欧亜連絡鉄道と上海航路との接続点であり、日本から大陸への玄関口でもあり、また、満鉄本社もあった重要な地であったことを物語っています。
 
 花崗岩のイオニア式ジャイアント・オーダーが8本並ぶルネッサンス様式が特徴の外観や、車よせから正面玄関まで続く唐草模様のキャノピー等の格式高い美観は、百年の風雪に耐え、現在も営業を続けるホテルでありながら全国重点的な文物、保護建築にも指定されております。
 
 世界的に著名な大連賓館は、中でも日本で特に知られており、大連を訪問される日本の政治界、商業界の皆様、ツア一客など多くのお客様にご利用いただいております。歴史をひも解くと、これまでリットン調査団やラストエンペラーの溥儀などが宿泊したことが記録されており、近年では中曽根康弘氏、竹下登氏、村山富市氏にもご利用いただいております。

 施行からちょうど100年にあたる本年(2009年)、中国各地・世界各国に散っていた往時の資料や物品を集めて陳列室を開設し一般公開を始めたほか、往時のままの内装と家具をそのまま使用した特別復元ルーム(一日1室限定)をご用意いたしました。

 大連賓館100年の歴史を感じていただき、お楽しみいただけますよう皆様のご来館を心よりお待ち申し上げております。

建物外観

大連賓館(旧ヤマトホテル)正面の様子。

 妻木頼黄と満鉄を代表する建築家太田毅が設計したとされています(太田毅は未確認)。ルネサンス様式で正面から見ると8本の柱が並べられています

正面その2。

 1909年から4年をかけて建築されたヤマトホテルは地上4階、地下1階全115室で完成しました。

 施設としてはエレベーター、理髪店、ビリヤード場、会議場、宴会場、空中庭園(現在は閉鎖)、洗濯部、車馬部(馬車を手配するサービス)などがあり当時としては超一流のホテル施設だったといえます。エレベーターの枠はそのまま使われています。

 建物の中央には天井まで吹き抜けとなっている空間があり、喫茶店として利用されています。

大連賓館(旧ヤマトホテル)外側2、3階。

 車や馬車を降りる入り口には雨よけの唐草模様の屋根が設置されており現役で活躍中です。

 入り口を入るとロビーがあり、その真正面には多くの国賓クラスが利用した会議室があります(普段は入室禁止)。会議室への入り口上には日本との関わりも深い郭沫若の筆による看板が飾られています。ぜひ、注意して探してみてください。

 2006年ごろまで建物の屋上に巨大スクリーンが設置されており、スポーツ中継などを放送していました。

ヤマトホテルから使い続ける唐草模様のキャノピー(雨よけ)

 車よせから正面玄関まで続く唐草模様のキャノピー(雨よけ)は、当時のままです。

1日1室限定の特別復元ルーム

大連ヤマトホテルへタイムスリップできる特別復元ルーム

 天井の高さが特徴である開業当時の部屋を復元した特別ルームです。机がある部屋とベットルームの2部屋あります。机、テーブルや内装も当時使われていたものを配置、使用しています。

 部屋は和洋折衷です。和室の書院造りを代表する違い棚があったり、天井の模様は城郭や寺院を連想させるようなデザインでとてもオシャレな感じです。

客室

セミスイートルーム

 居間と寝室が分れたタイプです。入り口入った正面が今で左奥に寝室、浴室があります。特別復元ルームと同じ広さと間取りのようです。

寝室

 部屋の古さは感じます。しかし、天井が高く、100年の歴史を感じさせる雰囲気があります。

ホテル内&施設

旧大連ヤマトホテル内部の階段。

 映画のワンシーンのような階段です。

大連ホテル庭園喫茶店

大連賓館庭園喫茶店

 1階にある庭園喫茶店です。夏はビアガーデンとなります。

2階バルコニーからの風景

大連賓館2階バルコニーから中山広場

 中山広場を間に挟み大連賓館の正面には大和ホテル建築開始同年である1909年建築の横浜正金銀行大連支店(中国銀行)があります。銀行なので気軽に中へ入って見学することができます(古写真を見ると現在と外観が変わっていることが分かります。建築時を旧館と呼び改装した現在のものを新館と呼ぶようです。『横浜正金銀行全史』より。)。

 この建物も妻木頼黄と太田毅により設計されたものです。横浜にある旧横浜正金銀行本店(神奈川県立歴史博物館)も1904年に妻木頼黄の設計で建てられています。

 この旧本店の外観は初代の旧大連支店そのものといっても差し支えがないほど似ています。

ヤマトホテル時代

大和ホテル古写真

 左側には少し鉄路病院(大連大学付属中山病院)が写っています。この視点から見ることができる風景は今と同じような感じがするのでとても不思議です。

出典:ウィキペディア ヤマトホテル

戦前のヤマトホテルの絵葉書

 戦前発行の絵葉書です。見比べると外観の色も当時とほぼ同じことが分かります。右側にある銅像は初代関東督府の大島義昌大将です。

アクセス / 地図

<バス>各種中山広場。徒歩約10秒から3分。
 
 大連外国語学院へ向かう23のバス停が目の前です。友好広場からも近いです。タクシーでも中山広場と伝えれば連れて行ってくれます。

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この投稿は 2009年11月18日 水曜日 7:44 PM に ホテル・不動産・病院, 3つ星ホテル以下, ホテル・アパートメント カテゴリーに公開されました。

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掲載日: 2009-11-18
更新日: 2012-04-02
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