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国家級海釣大師、大連市釣魚協会副秘書長 黄 盛国さん

国家級海釣大師、大連市釣魚協会副秘書長  黄 盛国さん

「釣りの醍醐味は、小さな竿と細い糸、繊細な仕掛けで大物を釣り上げた時の喜びです

 大連に本格的な春の訪れとともに海釣りシーズンが開幕した。三方を海に囲まれた大連は好漁場が広がる中国国内でも屈指の〝フィッシングランド〟。釣り愛好者がワクワクする季節を迎え、国家級海釣大師であり、大連市釣魚協会副秘書長でもある黄盛国さんに、大連の釣り事情や日中交流などについてインタビューした。(関連記事は21ページ)

――いよいよ春本番を迎え、待望の釣りシーズンも開幕しました。大連は中国でも海釣りの盛んな地域ですが、釣り愛好家のみなさんは楽しみにしていることでしょうね。

 「大連は渤海と黄海に分け入るように延びる遼東半島の先端部に位置し、地理的にも海釣りに恵まれています。しかし、釣シーズンは4月から12月までで、冬の間は楽しむことができません。それだけにシーズンの開幕を心待ちにしている人がたくさんいます。もちろん私もその一人です」

――私も釣りが好きでよく船釣りを楽しんでいます。最近は釣り人の数が増えて来たと思いますが、釣人口はどれくらいでしょうか。

  「大連はサッカーと釣好きが多いと言われる都市です。推定の釣人口は、たまに釣を楽しむ人を含めると20万人ほどだと推定されます。海と淡水の釣人口の比率は7割が海釣りと考えられます。今後、釣り愛好者はもっと増えてくることでしょう」

――黄さんは大連市釣魚協会の副秘書長であり、国家級海釣大師の認定も受けられています。この国家級海釣大師とはどのようなものなのでしょうか。

 「中国各地で国家級の釣り競技会が開催されていますが、競技会の累積成績が優秀な人に中国釣魚協会が認定するものです。現在、大師に認定されているのは中国全体でも4人しかいません。大連には私を含めて2人、そして青島と瀋陽に各1人。私は2002年に認定を受けました」

――認定を受けるのは大変なことなのですね。黄さんは1シーズン、どれくらい釣をされているのでしょうか。

 「会社勤務していた一昨年までは、シーズン中の週末は決まって海に出かけていました。ですから年間で70日から80日ほどは釣りをしていましたね。会社を定年退職した昨年は180日ほど海に出て、船や陸から釣りをしました。こうして健康で、若くいられるのも釣りのおかげだと思っています」

――黄さんが推薦する大連の有望な釣り場はどこでしょうか。

  「大連には好漁場がたくさんあり、中でも島部は大物が釣れますね。私たちがよく行くのは圓島や獐子島、三山島、長海など。30キロ級のヒラマサやビッグサイズのスズキやマダラも釣れますし、クロソイやアイナメも驚くほどの大物がいますよ」

――日本も島国で釣りが盛んな国です。釣りを通した日中の交流はあるのでしょうか。

 「もちろん、日本との関係はたくさんあります。釣りを目的にした日本からの観光客も年々増えて、今年も夏に200人の釣り人が日本からやってきます。大連の旅行会社も釣りの観光に力を入れていますので、これからは釣り交流がもっと盛んになるでしょう。そうそう、日本で釣りの編集者としても有名な小西和人さんも大連に来たことがあり、一緒に釣ったこともありました」

――日本では海のルアー釣りが大ブームになっています。中国ではいかがでしょうか。

 「中国でもルアー釣りは流行っています。私がルアーを知ったのは1997年でしたが、その10年後から急速に普及してきました。ヒラマサやスズキなどの大物はルアーで釣り上げたものです。これからは日本と同じように普及することでしょう」

――最後に釣りを楽しむためのアドバイスをお願いします。

 「釣りの醍醐味は何と言っても、小さな竿と細い糸、繊細な仕掛けで大物を釣り上げた時の喜びです。タックルの品質がよくなって来たこともありますが、自分の技術で釣った時の達成感は何物にも代えられません。みなさんも釣りを通して大連の生活を大いに楽しんでください」

【経歴】
黄 盛国さん

 1951年1月、大連市中山区生まれ。元国営企業の管理者として勤務しながら、唯一の趣味の釣りに打ち込んで来た。昨年は退職して釣三昧の生活を送る。2002年に国家級海釣大師に認定された。

【取材を終えて】
楽しい日中釣り談義

 好きなことに打ち込んでいる人の笑顔は底抜けに明るい。日焼けした顔に白い歯をのぞかせて釣りを語る黄盛国さん。定年退職者の〝隠居〟を感じさせない若々しさにあふれ、現役の輝きにあふれていた。
 という私も大の釣り好き。当然のように話は盛り上がり、話題は次から次へと移り、時間を忘れて日中釣り談義を弾ませた。「今度は互いの仲間と一緒に釣り交流を」。身を乗り出しての楽しいインタビューだった。
猪瀬 和道

この投稿は 2012年5月8日 火曜日 11:23 AM に Whenever誌面コンテンツ, 巻頭インタビュー カテゴリーに公開されました。

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掲載日: 2012-05-08
更新日: 2012-06-06
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