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大連外国語大学准教授 特定非営利活動法人日中児童の友好交流後援会理事 肖 輝さん

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「異文化交流の架け橋が、私の目標。外国語学習は、相手を知りたい気持ちが大切で、流暢さよりも、問題解決や交流にどう関われるかが重要です」

 「日中児童の友好交流後援会」は、1992年に設立し、文通や中国からの訪日ホームステイで、両国児童の交流を促進しているNPO。同会理事で、また大連外国語大学日本語学院の准教授、さらには高名な通訳翻訳者でもある肖輝先生。昨年は、来連した神奈川県知事の同時通訳も務め、多方面で活躍する肖輝先生に、同会の活動や日本語教育者、通訳翻訳者としての想いを聞いた。
 「日中児童の友好交流後援会」の詳細は、同会サイト(http://www18.ocn.ne.jp/~ryojun/)で。
 肖輝先生が「日中児童の友好交流後援会」の活動に参加するきっかけは、何だったのでしょうか。

 会を初めて知ったのは、留学中の1999年でした。私は1995年にジェトロ大連へ入所しましたが、当時の所長は江原規由さんでした。江原さんは現在、同会の理事長で、奥様の孔江さんも、同会の理事です。留学中、日本で江原夫妻と再会した際、当時の同会理事長の川畑文憲さんと知り合い、文通の翻訳ボランティアとなりました。

 2003年に帰国後は、どの様に会と関わっていらっしゃったのでしょうか。

 会では、夏期日本語会話講習を、2006年まで旅順で開いていましたが、この講習に2004年から通訳などで関わるようになり、2006年には講師も務めました。2008年からは、私を中心に文通の翻訳を進めるようになり、2010年からは理事として、大連の窓口を務めています。

 小さな子どもたちを交流の対象にするのは、どんなな狙いがあるのでしょうか。

 まず、設立者の想いがあります。川畑さんたち初期の会員は、戦中の旅順で生まれ、旅順で教育を受け、幼少時から中国の人々と過ごしていました。また、旅順の九三小学校には、日本語コースがあります。同会は設立当初、「旅順児童教育後援会」という名前でした。子どもたちの教育に協力したいう願い、そして、友好の種を子どもの心へまくという意味もあります。

 文通に参加した子どもたちには、どの様な変化があるのでしょうか。

 だんだんと心の壁もなくなり、本心で文通できるようになっています。自分の国を紹介しあい、相手国の本当の姿を知り、相互理解ができています。中国の子どもたちは、日本の友人ができたことを誇りにも思っています。

 子どもたちは、やはり日本や中国と関係した進路へ進むのでしょうか。

 日本語を専攻し、日本関係の仕事をしている人もいますが、残念ながら、大半は日本と無関係な仕事をしています。訪日ホームステイの経験者で、「朋友会」も結成していますが、活動も停滞しています。日本の子どもたちも、同じような状況です。残念でなりません。どのように交流の経験を活かせるか、今後の課題です。

 では、今後の課題や活動として、どの様なことを考えていらっしゃいますか。

 多くの方に会を知っていただき、特に若い人の参加を増やしたいと思っています。新しい交流活動も考えています。例えば、日本の子どもたちが中国でホームステイをしたり、親とホームステイに行ったりです。一生の仲間となれるように、双方向の交流を強化していきます。

 ところで、肖輝先生が日本語を学び始めるきっかけは、何だったのでしょうか。

 「日本という国を知りたい」という気持ちが、最大の動機です。小学生の頃、山口百恵さんのドラマや『一休さん』をテレビで見ました。テーマソングを聴いて、日本語は面白いと感じました。ですが、わざわざ勉強しようとまでは思いませんでした。中学校は日本語コースでしたが、実は、本格的に勉強を始めたのは、大学からです。大学で、日本へ行きたいと初めて考え、2年生以降は、交流のためとの想いも芽生えました。

 通訳翻訳者としての経歴を振り返ると、いかがでしょうか。

 最初は大変でした。大学2年の時、工場のアルバイトで通訳をしましたが、うまくできず、工場長に怒られました。ジェトロでも、江原さんから間違いを指摘され、自信を失いかけました。ですが、1996年にジェトロ本部で研修に参加させていただき、さらに勉強しようと思いました。留学中も、通訳のアルバイトをし、就職した法律事務所でも、通訳や翻訳の経験を積みました。同時通訳は、ほぼ独学で学びましたが、2003年に同時通訳を担当する機会があり、そこで好評を得られました。同時通訳に必要なのは「センス」「努力」「知識」です。

 肖輝先生の目標は、何でしょうか。

 「異文化交流の架け橋」は、私の目標でもあり、学生にも伝えています。たとえ小さな力でも、架け橋としての役割を果たして欲しい。教育者としては、日本語そのものだけではなく、日本語を活かして何ができるかも、学生へ示したいと思っています。「日本や日本人を知っているか」という点、つまり問題解決や交流にどう関われるかが重要で、この点は流暢さよりも大切でしょう。翻訳なら、「心を理解できているか」が大切で、やはり心を込めた翻訳は違います。

 最後に、外国語を志す人たちへ応援の言葉をお願いします。

 まずは、その国を好きになって、その国に興味を持ってください。「相手を知りたい、理解したい」という意欲が、上達への条件です。そして、外国語を学んで何を目指すのか、自分を分析し、自分の人生を決める判断能力も必要です。

【中文】
  “日中儿童友好交流后援会”致力于通过中国和日本两国小学生书信往来、中国小学生到日本进行家庭寄宿等形式,从而加强和推进两国儿童的交流。本期杂志我们有幸就后援会今后活动安排及日本语教育等问题,采访到了后援会理事长、同时也是享负盛名的同声传译员的大连外国语准教授肖辉老师。
  “通过书信往来等活动来加深两国儿童的相互理解,今后,想让更多的年轻人参加到我们的活动中来,我们也将继续开展新的活动。作为一名日本语教育者,我希望自己不仅能够教给同学们日语,更希望让同学们能够使用日语这个工具来做些什么。今后,我也会将以让自己和自己的学生成为中日两国文化交流的桥梁为目标而继续努力。”

【経歴】
 1972年、大連市生まれ。大連外国語大学日本語学院准教授。1995年、大連外国語学院(現在の大連外国語大学)日本語学部卒業後、日本貿易振興機構大連事務所(ジェトロ大連)へ入所。1999年に早稲田大学大学院へ留学。2001年の卒業後、日本の法律事務所で働く。2003年に帰国し、現職。2010年、「日中児童の友好交流後援会」の理事に就任。国際関係論修士。

【取材を終えて】
熱い情熱と豊かな人間性
 大連外国語大学でも指折りの日本語教育者であり、また有名な同時通訳として、肖輝先生のお名前は前々から知っていた。だが、「日中児童の友好交流後援会」の理事としての活動は知らず、今回は、新鮮なお話を伺えた。その言葉からは、交流や教育にかける熱い情熱が伝わってきた。「人間性がないと、言葉ができてもだめ」との言葉が心にしみた。そして、その言葉を地で行くような、豊かな人間性も肖輝先生から感じた。
武井 克真

この投稿は 2014年7月17日 木曜日 7:37 PM に Whenever誌面コンテンツ, 巻頭インタビュー カテゴリーに公開されました。

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掲載日: 2014-07-17
更新日: 2014-07-18
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