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大連中心・裕景

大連中心・裕景

大連中心・裕景

大連市中山区大公街23号

 大連の象徴になりつつある大連中心・裕景は、2008年7月25日に販売開始、2009年11月30日から最初の入居が始まったマンションです。全5棟のうち3棟の178.24メートル43階建てのマンションが先行で完成しています。建設中の2棟は、284.5メートル62階建のショッピンモールと383.45メートル81階建ての7つ星(!?)ホテルとなる予定です。完成すれば世界でも指折りの高さを誇るビルになる予定です。

 マンション部分の部屋の大きさは、60~120㎡、136~260㎡の部屋を中心に構成されています。総戸数2,196部屋。駐車場は3,937台分あります。6.23万㎡の敷地内に総建物面積約80万㎡で計画されています。

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大連中心・裕景 1階ロビー

 現在建設中の地下鉄の駅と地下で直接結ばれる計画で、地上に出ることなく移動できるなど都心の中心にもかかわらず喧騒知らずの利便性となる予定です。大連中心・裕景は大連のみならず中国を代表する建物のひとつになりそうな予感させるものです。

部屋の様子

室内の様子。リビングルーム

2DK約68㎡のリビングルーム

キッチン

ユニットキッチン

 まだ誰も住んでいない部屋なのでとてもきれいです。大連中心・裕景の住人は地下からカードキーを使いエレベーターで建物1階へ上がり、1階から別のエレベーターで各部屋へ上がります。

3LDK

 室内写真提供 愛家不動産
 別の3LDKの部屋です。明るく開放的なベッドルームです。

周辺の環境

タイムスリップ of 大連中心・裕景

 大連中心・裕景の場所には、1909(明治42)年に電気遊園という大連初の遊園地ができた場所です。大連に電気が通ったのは、1907(明治40)年だったので、その2年後に作られた夜間のネオンもまぶしい電化遊園地でした。おそらくは、中国で最初、当時日本でも珍しかったもののようです。ピカピカと輝く電気のモニュメントやメリーゴーランドなどの古写真が残っています。その後、日露戦争終結条約であるポーツマス条約締結へ貢献した外務大臣小村寿太郎の名称から小村公園と名称が変更されて、終戦を迎えます。
 
 終戦後の1945年11月に大連文化公園と仮称し、1947年初めには魯迅公園と改められました。1966年9月には動物公園となり、大連動物園となります。中国で最も都心に近い動物園だったそうです。その後、1997年5月24日に動物園は現在の場所へ移転しました。

 以降は、裕景商店と呼ばれたりしました。2005年ごろまでは、電子城だったのを覚えている人も多いのではないでしょうか。思い起こしてみると、店舗の形状や建物がユニークだったことを覚えています。おそらくは、動物や爬虫類の小屋の跡に建てられたのだと思われます。

 大連中心・裕景の場所は、100年前も時代の最先端の場所であり、そして、今も時代の最先端の場所となっています。

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この投稿は 2011年2月15日 火曜日 7:16 PM に ホテル・不動産・病院, マンション・オフィス カテゴリーに公開されました。

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掲載日: 2011-02-15
更新日: 2015-02-16
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