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旧関東都督府

旧関東都督府

極東総督府→関東都督府→関東庁→関東州庁→旅順高等女学校

大連市旅順口区友誼路
竣工 1903年(1900年?)
設計 不詳
1903(明治36)年に旅順を占領したロシアが極東総督府として建築。日露戦争後1905年に現在の瀋陽に設置された関東総督府が翌1906年日本の租借地となった旅順、大連の行政の中心として移転・改変されて関東都督府として設置されました。
1919(大正8)年に関東軍と関東庁に分かれ、関東庁→関東局:→関東州庁となります。1938(昭和13)年には現在の大連市人民広場へ関東州庁(大連市人民政府)が移動しているため、そのころまではこの建物が使われていたと思われます。
関東州庁移転後は旅順高等女学校の校舎として使用されています。戦後は軍の保養所だったようです。
当初は行政の中心は旅順、開発の中心である満鉄の本社は大連という風に役割分散をしてたことが分かります。
戦前は千歳町と呼ばれ、付近には関東神宮という建物もあったようです。

旧関東都督府の裏側の様子

建物裏側へ回った様子です。特徴あるアーチ状の窓の形が印象的です。反対側から近づけると思ったのですが、煉瓦の壁に阻まれて近づくことはできません。
旧関東都督府付近も2009年6月の訪問可能地の大幅拡大までは歩くことができませんでした。軍事施設も多い新市街に近いことから特に警備は厳しかったようです。

旧関東都督府の裏側の様子その2

ここからの眺めはとても建物の趣を感じることができます。窓ガラスが割れている様子も分かります。

勝利塔
がある左側へ増築したような建物があります。KTVのような外観にも感じられます。同じく現在は使用されていません。

旧関東都督府の建物全体

保存状況がいいことから比較的最近まで使用されていたのだと推測されます。
『旅順歴史紀行』斎藤充功によると、2000年のころは軍の保養所として利用されていると紹介されています。城門の近くには検問所・監視小屋(?)らしき跡もあります。
白い壁、緑色の屋根、窓枠、形状からロシア時代の建物だと推測できます。ロシア街の初代大連市役所に似ているよう印象も受けます。同じくロシア時代に大連港近くの長江路に建てられた現・埠頭ホテルにも似ています。施工年はこれらの建物や旅順駅と同年代ロシア時代の建築の色がよく感じられます。
初代大連市役所の建物は使用されなくなって約10年で驚くほどの廃墟ぶりなので、保存状況を比較すると使用されなくなった年数は比較的に浅いのかもしれません。
雪積もる2009年12月27日に撮影しました。壁の白のコントラストが感傷的になります。現在でもドラマのロケなどで登場するそうです。

春の奇跡!?内部の様子

2010年3月末に旧関東都督府が中国のドラマの撮影で使われていたそうです。偶然、旅順ツアーで訪れ中へ入ることができたときの貴重な写真を提供いただきました。

ドラマ撮影中の旧関東都督府建物内部

病院のセットのようです。元の面影は感じることができませんが、天井からや壁の電球に当時を忍ばせてくれます。

2階バルコニーから

貴重です。2階バルコニーからの様子です。大連市内の旧日本橋の欄干の装飾に似ています。

見学中の観光客

内部を見学中の観光客の皆さん。

2階から建物正面

この場所からも見学することはできませんからこれも非常に貴重です。2階から建物正面の高楼です。
写真提供 F県Mさま貴重な写真を有り難うございます。

アクセス/地図

<バス>大連市内からのバスが到着する旅順バスセンターからは約3キロ。旅順駅から約1キロ。
隣の敷地にはソ連から解放してもらったことを記念する勝利塔があります。旅順博物館旧関東軍総司令部旧旅順ヤマトホテル旅順蛇博物館などの新市街までは徒歩数分の場所です。

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この投稿は 2010年1月25日 月曜日 5:03 PM に 観光・遊び・買い物, 観光 カテゴリーに公開されました。

コメント / トラックバック4件

  1. 匿名希望 より:

    とても立派な建物でした。建築の形式が美しい〜。

  2. 慶次郎 より:

    匿名希望さん、
    コメント有り難うございます。
    他の建物とは違う様式なので美しいですね。立派で魅力的な木造建築としてもっと注目されてほしいなと思います。

  3. この写真の場所は旧旅順師範学校付属小学校だと思います より:

    この写真の場所は旧旅順師範学校付属小学校だと思います。
    高等女学校があった場所は中央大街から健康街(旧ヤマトホテル)に入った左側で今は跡形もないです。
    あなたが言っている場所は1906年に関東都督府となり、1937年に旅順師範学校付属小学校になりました。
    もう一度いいます、師範学校付属小学校。

    祖母が通っていた高等女学校は、関東都督府高等女学校から旅順高等女学校にかわりました。
    1949年以降は中国海軍が使っていたそうです。
    新市街は狭い地区ですが色々な学校がたくさんありました。
    それと関東神社はこの付近にあったとあなたはいいますが、新市街は今も昔も狭い地区なので
    この説明だと新市街すべてが付近になりますよ。

    • 慶次郎 より:

      この写真の場所は旧旅順師範学校付属小学校だと思いますさん、

       コメント有り難うございます。愛新覚羅顕キさんの母校である旅順高等女学校は引き続き調査中ですので、また情報をいただけると嬉しいです。

       関東神宮は、この敷地から北へ直進する白山街が旧参道だったようです。ご参考までに。
       http://www.dllocal.com/enjoy/603.html

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掲載日: 2010-01-25
更新日: 2013-02-17
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