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第28話 佐々木 美佳 物語

大連で楽しみを見つけた佐々木美佳さん

ミュージシャンから充実の転身

人生を学んだプロの厳しさ

 人生は、どうせ一幕のお芝居なんだから。あたしは、その中でできるだけいい役を演じたいの」。寺山修司原作の演劇「毛皮のマリー」に主演する美輪明宏の台詞に、佐々木美佳は自らの歩んできた道、そしてこれから進むであろう人生の道筋を重ね合わせる。
表舞台に憧れ、スポットライトにも照れされたこともあった。〝いい役〟を演じた一方で、自らの限界にぶつかり、挫折感に打ちのめされたこともあった。佐々木美佳、間もなく38歳。歓喜と苦悩が縄のようにあざなう人生の波間に揺らぎながらも、現実を見据えて針路を求め続ける。

■ヘヴィメタバンドに憧れコピーバンド結成
 横浜駅の東急ハンズにほど近い横浜市西区岡野。この大都会が佐々木の故郷である。佐々木が生まれた1974年(昭和49)は、巨人軍の長嶋茂雄が引退し、田中角栄首相が金脈問題で退陣、世の中は狂乱物価が続いていた。社会全体が高度経済成長のどこか落ち着きのない慌ただしさの中にあった。
 父は建築会社に勤務する正武、母は神戸から嫁いできた恵子。3人姉妹の長女の佐々木は、妹2人が怖がって避けていた正武となぜかウマが合った。オーディオ好きで骨董や美術にも興味を持つ趣味人の正武。その影響を強く受け、個性的なミュージシャンを目指した佐々木の原点が幼年期に形成されたのである。
 小学生で3姉妹一緒にエレクトーン教室に通い、横浜市立岡野中学校では足の故障でバスケット部を退部して吹奏楽部に入部、コルネットを担当した。憧れていた先輩の生徒会副会長が吹奏楽部に入っていたことと、宮崎駿のアニメ映画「天空の城ラピュタ」で主人公がトランペットで挿入歌を吹くシーンに感激したのが動機だった。そんな〝憧れ〟を自分の中に引き寄せるエネルギーが佐々木にはある。3年生の時に生徒会役員選挙に立候補して副会長に当選、コルネットもいつの間にか自分のものにしていた。
 高校は「人生の何かを見つけたい」と市立横浜商業高校に入学。3年間で英検や珠算、簿記、情報処理、英文タイプなどの資格を取得、第二外国語で中国語も学んだ。勉強することの楽しさを知るとともに、将来の夢も見つけた。「プロのミュージシャンになりたい」という思いが募っていた。目指すは一世を風靡(ふうび)したデーモン小暮率いるヘヴィメタルのロックバンド「聖飢魔Ⅱ」。ここでも佐々木は〝憧れ〟に近づこうとした。
 男女5人で「聖飢魔Ⅱ」のコピーバンドを結成。佐々木はリズムギターを担当し、顔には白い化粧を塗り、悪魔の衣装をまとった。もうひとりの自分の世界を作り上げていた。その変身願望の深層にはアトピーに苦しんでいた佐々木がいた。小学5年生の時に発症し、22歳までの青春期を苦痛とともに過ごし、風呂の湯はやけど状態ではがれた皮膚で真っ白く濁るほどだった。

ロックバンド「スライミーリグルス」(右端が佐々木さん)

ロックバンド「スライミーリグルス」(右端が佐々木さん)

■新聞配達しながら通った音楽学校
 高校卒業後はプロのミュージシャンを目指し、アルバイトをしながらライブハウスで演奏活動を続けた。が、アマチュアの域を出ることができない。ビジュアルだけでは登り詰めることのできないプロへの道の遠さを知った。独自の頑張りは2年で断念、「基本から勉強し直そう」と、音楽界に人材を送り込んでいる東京・高田馬場の音楽専門学校「ESP学園」に入学、アーティスト科ギターコースで学び始めた。
 その一方で毎日新聞の奨学生として新聞配達をして学費と生活費を稼いだ。朝刊を配ったあとは学校でギターを勉強し、午後には夕刊を配り、集金もした。睡眠時間は1日4時間ほど。そんな生活が2年間続いた。ギターコース修了後は研究科で1年、さらにアシスタントとして学園に残り、著名ギタリストに高度なテクニックの指導も受けた。この時期に日の当たる〝いい役〟も演じた。ヘヴィメタルバンドのメンバーとしてテレビ出演し、NHK歌のお姉さんの岡本明日香とユニットで活動。また、声優桜井智の全国コンサートツアーにも参加し、イベントでギタリスト西慎嗣と一緒に演奏する機会にも恵まれた。
 しかし、表舞台だけでは生活ができなかった。そこで、横浜のドコモに入社し、昼間はコールセンターで働き、夜や休みの日は演奏活動に打ち込んだ。コールセンターを選んだのは、電話対応だけで客の前に出ることがなかったためだった。着るものはステージの延長で派手で個性的。一般のビジネスウーマンとは明らかに違っていた。23歳から29歳までの6年間勤めたが、業績は高い評価を受け、スーパーバイザーとしてチームリーダーに抜擢された。「音楽はやってもやっても達成することはない。その点、仕事は目標が決められているので簡単だった」と言い切る。
 チームのメンバーには、他チームで能力を出し切れない個性的なメンバーもいた。オタク系や水商売をしていた人たち。だが、佐々木はチームをまとめ上げ、顧客満足度では常にトップだった。それはロックバンドで活動していた経験が大きく作用した。バンドは個性集団でありながら、心をひとつにしなければならない。佐々木はメンバーの話を徹底的に聞き、時には熱く語った。そしてやるべきことを何度もフィードバックして納得させた。演奏活動で得た教訓でもあった。

岡本明日香さんと活動した当時の佐々木さん

岡本明日香さんと活動した当時の佐々木さん

■大連で音楽と無縁の新たな世界に挑戦
 佐々木が30歳の時にチャンスが巡ってきた。ヘヴィメタルバンド「アニメタル」のギタリスト加瀬竜哉からバンド編成の声がかかった。20歳の女性ドラマーと30歳の佐々木、そして40歳の加瀬で組んだバンドが「弐拾参拾四拾203040」。佐々木はギターとボーカルを担当し、ライブハウスなどで演奏活動を続けた。だが、佐々木は壁にぶつかり、自分の限界を思い知らされたのである。
 加瀬はミュージシャンとして高い評価を受けていたプロの演奏家。その加瀬から佐々木は「死ぬほど怒られた」。佐々木は自分も観客も夢のある楽しいステージが好きだったし、ビジュアルによる雰囲気も大切にしていた。しかし、加瀬から全てを否定された。「くねくね動いて歌うな、音で勝負しろ!」とスタジオの電気を消されて真っ暗な中で練習したこともあった。だめ押しは何度も続く。男性ミュージシャンとのレベルの違いは明らかだった。
 乗り越えることのできない一線がある。楽しいはずの音楽が苦痛に思えてきた。スタジオやライブハウスに向かう足も重い。精神的に落ち込む日々が続いた。加瀬はついにサジを投げ、バンドは1年後に解散した。佐々木はこう振り返る。「悔しいけれど、やり尽くした。プロから怒られて表舞台を諦めることができた。30歳を過ぎても夢を追い続けながらも苦労している人が多い中で、スパッと人生の方向を変える踏ん切りがついた」。
 もうひとつのきっかけがあった。佐々木が30歳の時にアルツハイマーを患っていた祖母みつゑが他界、母恵子とともに佐々木も3年間の介護生活を送った。最愛の夫伊太郎に先立たれ、生き甲斐を失ったみつゑ。失意が病状を悪化させていたのである。「自分の人生を自ら切り開き、後悔のない生き方をしたい」。そんな気持ちが芽生えていた。
 音楽や演劇とまったく違う世界で自分の力を試したかった。そんな時に巡り会ったのが大連で操業する外資系IT会社だった。海外で暮らしてみたかったし、IT会社ならばドコモの経験が生かされ、中国語もかじったことがある。佐々木の希望にぴったりの転身先といえる。採用が決まり、大連を訪れたのは2007年(平成19)4月、32歳の時だった。
 最初に配属されたのは修理部署。日本のパソコンユーザーからの故障の問い合わせに応じる業務だが、所属チームの評価は芳しいものではなかった。が、佐々木には日本での実績があったし、チームをまとめるノウハウもあった。佐々木が考えたのはサービス力の特化。故障は修理が必要か、それとも操作の未熟さが原因なのか、お客の話を優しく、丁寧に聞くことに徹した。やがてチームの評価は高まり、3年後に佐々木はチームリーダーに抜擢された。
 その後もサーバーやグローバルソリューション部門も担当し、総合的なパソコンの知識を身につけた。これからは技術や現場に精通した日本語トレーナーも経験したいと思う。すでに5年目に入ったが、会社の研修制度や大企業の組織力にも居心地の良さを感じ、仕事がオフの時にも佐々木は充実した大連生活を送る。

■中国の母や弟との交流が励みに
 「ミラーカ」。本名よりも名前が通ったハンドルネームだ。佐々木は「ミラーカ」としてブログ「大連観光旅行通信」で大連情報を発信する。観光スポット案内や気に入ったお店の紹介など、観光ガイドブックでは知ることのできない〝生きた現地情報〟を届けている。「大連での生活が豊かになりました」「大連観光の参考になりました」――そんな書き込みが佐々木の励みにも、活力にもなっている。
 「中国の母」と慕う盧翠雲(心翠)との旅行も大連暮らしの楽しみだ。遼陽やハルピン、煙台、本渓、盤錦など年に2、3度の〝親子旅行〟。天津では愛新覚羅顕琦にも会うことができた。また、「大連の弟」もでき、ビジネスに夢をかける弟のサポートも生活の張り合いになっている。
 ミュージシャンの夢を捨てて充実の大連生活を送る佐々木。自室には日本から持って来たギターがソフトケースに入ったまま立てかけてある。だが、まだ大連で一度も弾いたことはない。「それより楽しいことがたくさんある」。苦悩の象徴でもあったギター。心に余裕を持って手にする時がいつしか訪れるに違いない。

天津で会った愛新覚羅顕琦さん(中央)と(左端が盧翠雲さん)

天津で会った愛新覚羅顕琦さん(中央)と(左端が盧翠雲さん)

この投稿は 2012年6月6日 水曜日 1:02 PM に Whenever誌面コンテンツ, ヒューマンストーリー カテゴリーに公開されました。

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掲載日: 2012-06-06
更新日: 2012-07-11
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